特集
ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち【パナソニック編JR-100~CF-2000~レッツノート】
2025年5月12日 06:12
特集企画「ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち」の第9回は、パナソニックである。
松下電器産業時代の1964年に、汎用コンピュータからの撤退を決定したが、1977年には富士通との合弁会社であるパナファコム(現PFU)を通じて、日本初の16bitマイクロコンピュータキット「LKIT-16」を発売(このニュースリリースは、2025年3月10日に掲載した本連載の富士通編で紹介している)。その後、松下通信工業でもPC事業を展開する一方、松下電器産業では、MSX規格のPCや、富士通のFMRシリーズ互換PC、AVパソコンなどの製品化を経て、1996年のレッツノートの発売につなげている。
また、日本IBMが1983年に発売したPC「IBMマルチステーション 5550」のOEM生産を行なうなど、パナソニックのPCの生産能力は業界内でも定評があり、この時発足した特別プロジェクト室の開発部門が、のちにレッツノートの製品化を進めたというエピソードが残っている。
今回の企画では、パナソニックオペレーショナルエクセレンスのコーポレート広報センターの協力を得て、大阪府門真市の本社エリアに保管してあった資料のなかから探し出してもらったPC関連のニュースリリースを全文掲載する。
JR-100
パナソニックの最初のPCは、1978年に発売した「マイブレーン JD-700」および「同JD-800」であることが同社の社内資料に記されているが、残念ながらニュースリリースは見つけることができなかった。
同社に現存していた最も古いPCのニュースリリースは、1981年10月に発表した入門用パソコン「JR-100」であった。松下通信工業の電卓事業部が製品化したものであり、パソコンを勉強したいというユーザーを対象に市場投入したPCだ。
本体価格は5万4,800円と低価格化を実現。家庭用TVに接続ができ、使用頻度の高い命令語はワンタッチで入力できるようにしていた。また、BASIC言語入門のための教科書を付属したほか、別売りのプログラム集を用意し、各種ゲームプログラムも提供していた。当時、国内向けの製品はナショナルブランドとしており、JR-100も「National」のロゴが入ったPCだった。
NATIONAL C-7000
1983年4月に発表したパナファコムの「C-280」は、同じPCを松下電器が「NATIONAL C-7000」として発売。
ニュースリリースには記載されていないが、松下電器はこのPCを「オペレート7000」の名称で市場投入していた。同製品は、パナファコムが富士通からのOEM受託によって製造したものであり、富士通では「FACOM 9450II」として発売。富士通が開発したソフトウェアEPOCファミリが動作した。
キャッチフレーズは「1台5役、同時に2役」であり、「パーソナルエイジをひらく、最新鋭パーソナルコンピュータシリーズ」と位置づけた。パナソニックでは、1987年には、富士通のFMR互換のパナコムMシリーズを発売。PC市場草創期のパナソニックのPC事業は、富士通との強いつながりの中で展開していたことが分かる。
CF-2000
パナソニックは、同社初のMSX規格パソコン「CF-2000」を、1983年9月29日に発表した。
ニュースリリースにもあるように、MSX規格は、メーカーの違いや機種の違いによって互換性がないというそれまでの問題を解決するために、米Microsoftとアスキーが提案した共通規格で、パナソニックをはじめ、家電メーカーやPCメーカーなど、この時点で16社が賛同。パナソニックでは、「ヤングの一番欲しいものとして、パソコンが第1位を占めている」とし、「当社は、MSXパソコンを、パソコンの本命と考え、家電量販店を中心に積極的に推進していく」と宣言している。
1985年のMSX2規格、1988年のMSX2+規格、そして、1990年のMSXturboR規格においても、パナソニックは製品を投入し続けていった。
WOODY
1994年5月11日に、パナソニックが発表したのがマルチメディアパソコン「WOODY」である。14型モニター、CD-ROMドライブ、音声多重TVチューナ、ドームスピーカーなどを一体化したオールインワン型AVパソコンであり、PanasonicのAV技術を盛り込んだパーソナルユース向けのPCと位置づけていた。
前面パネルのボタンを押すと、PCとTV、CDを一発で切り替えられるのが特徴で、ダレイクトに静止画を取り込める「キャプチャー」ボタンもついていた。ニュースリリースでは、「ゲーム機を接続し、裏キャラクターが登場してきたら前面パネルのボタンでキャプチャーでき、これらを集め、自分だけのライブラリーが作成できる」と、かなりコアな使い方を紹介していた。
WOODYのメインキャラクターにはウッディー・ウッドペッカーを採用。「マルチメディアをつっつこう」をキャッチフレーズにしていた。
レッツノートAL-N1
1996年6月11日に発表したのが、レッツノートの第1号機となる「AL-N1」だ。10.4型液晶ディスプレイを搭載したB5サイズの「サブノートPC」と位置づけ、業界最軽量の1.47kgを実現。「本当に持ち歩ける軽量かつコンパクトなノートパソコンの需要が高まっていくものと考えて発売した」としている。CPUにはPentium(120MHz)を搭載。メインメモリは16MB、HDDは810MBとなっていた。
その後、レッツノートは、小型、軽量、高性能を維持するとともに、堅牢性、長時間駆動を追求し、日本人に最適化したビジネスモバイルノートとして進化を遂げていったのは周知の通りだ。2026年には発売30周年を迎えることになる。
なお、ニュースリリースには、一般からの問い合わせ先として、パナソニックモバイルテクノセンター「0120-873029」が表記され、これをパナソニック(873029)と読ませている。このフリーダイヤルは、現在でも「パナソニックパソコンお客様ご相談センター」として、レッツノートおよびタフブックの電話サポートの番号として利用されている。